秋田県の大潟村は、日本有数の米どころとして知られています。大潟村は特に「あきたこまち」という品種で知られており、その米質の高さから多くの人々に愛されています。大潟村の地理的条件や気候が、お米の栽培に非常に適しているため、高品質なお米が生産されています。
あきたこまちの特徴
「あきたこまち」は、秋田県の特産品として知られるお米の品種です。以下に、あきたこまちの特徴をいくつか挙げてみます。
- 粘りと食感: あきたこまちは、粘りがありながらもモチモチとした食感があります。
炊きあがりのご飯はふっくらとしており、喉越しも良く、口当たりが滑らかです。 - 甘味と旨: あきたこまちの特徴の一つに、独特の甘味と旨みが挙げられます。
炊き上がったご飯はほんのり甘みがあり、米本来の旨みも感じられます。 - 粒の大きさと形状: 粒が大きく、形が揃っているのもあきたこまちの特徴です。
このため、見た目も美しく、料理に使う際にも存在感があります。 - 艶やかな外観: あきたこまちは炊きあがりのご飯がつややかで美しいのが特徴です。
食卓に盛り付けると、その艶やかな外観が食欲をそそります。 - 加工に適した性質: あきたこまちは粘りがあるため、おにぎりや寿司などの加工食品にも適しています。また、おこわや赤飯などの郷土料理にも良く使われます。
これらの特徴から、あきたこまちは多くの人々に愛され、高い評価を得ています。
秋田大潟村の歴史
秋田県大潟村は、日本最大の干拓地です。村の全域は、かつて日本の湖で2番目の面積を誇った八郎潟でした。北緯40度、東経140度の交会点を中心にしたかつての八郎潟は、東西12km・南北27km・周囲82km・総面積2万2,024ha、琵琶湖につぐ日本第2の広さを誇る湖であり、約70種を超える魚介類の宝庫でした。1954年(昭和29)にオランダのヤンセン教授と フォルカー技師の来日を契機として同年の世界銀行および翌'55年の国際連合食糧農業機構FAO調査団が調査した結果、干拓事業の有用性が内外に認められました。
20年におよぶ歳月と総事業費約852億円の巨費を投じた世紀の大事業は、1977年(昭和52)3月に完了し、八郎潟の湖底は1万7,203haの新生の大地に生まれ変わりました。
八郎潟干拓により、湖底から生まれ変わった新生の大地に村がつくられることとなり、村名は全国から募集され、将来に大きな理想と躍進をこめて「大潟村」と命名されました。
こうして村は、1964年(昭和39)10月1日に秋田県で第69番目の自治体として名乗りをあげました。6世帯わずか14人の人口でのスタートでした。全国各地からの入植希望者のなかから選抜された入植者は、干拓の目的である「日本農業のモデルとなるような生産および所得水準の高い農業経営を確立し、豊かで住みよい近代的な農村社会をつくる」ことを担ったパイオニアといえます。